英語道場師匠Ericのコラムのバックナンバーです。

2011.3              
受験に思うこと

 
◆ 大学受験は最後の山場・高校受験は本番間近
 
  大学受験は25日の国公立の試験で1つの山を終えますが、ここまでの受験で成果が得られなかった
人たちには二次募集・後期日程という、超えなければならない『もう一山』があります。指導に携わる側としては毎日がハラハラの連続で、ことに思うような成果が出ずに苦しんでいる生徒達を前にすると「もう少し何かできなかったか?」という自問にも向かい合わなければなりません。毎年のこととは言え一人一人の問題ですから『慣れる』ということはなく、各々の道場生に対する自分の仕事の評価を受けているようで、一喜一憂の日々が続いています。国公立大学の受験が今週25日に迫り、また私立の試験で思うような結果が出せなかった生徒には、より強いプレッシャーの中での二次募集の試験が3月の第1週にあります。その後には高校受験が控えており、当分は受験生全員の心配をしていなければなりません。『人事を尽くして天命を待つ』という言葉を受験生達には常々言っていますが、実際には自分自身にとって一番重い言葉です。果たして本当に『人事を尽くしたか?』、毎年のことながら重い自問自答の日々です。

◆ 大学受験
 
 それにしても常に考えさせられるのは「大学へ行くことの意味」です。自分自身も受験生の時期にこ
れの答えが分からず、結局高校卒業後2年間は仕事をやっていましたが、勉強から離れると「本当にこれでいいのか?」という疑問が徐々に強まり、20才を過ぎてから「大学に行きたい!」と本気で思う自分がいることに気が付きました。年齢的には3浪と同じで、決断までにずいぶん時間を要してしまいました。ただ、今振り返ってみても、「他の生徒達と同じように、受験勉強を当然のこととして受け入れて努力をしておけばよかった」という気持ちにはなれません。「もっと学びたい」という強い欲求が自発的に出てくるまで3年かかってしまいましたが、それだけに「何としても受かりたい」という強い気持ちを持って半年間自宅浪人で孤独と闘いながら受験勉強をやったときの経験は、今の指導でも受験生達に投げかける「なぜ大学に行くの?」という質問に反映されています。
 「大学に行く意味は大学に入ってから考えればいいからとにかく大学へ行け」というのも1つの考え方
かも知れませんが、やはり高校にいるうちに「大学へ進学する意味」をきちんと教えて納得させてくれるような先生や大人と出会えなかったことは、自分自身の不幸であったように思います。それだけに、指導する側にまわった今、道場生達には「大学に進むことの意義」「大学時代という時間の意義」「大学へ行かないことの意義」などをなるべく語るようにしています。
  時代が変わって「全入時代」とも言われる今日、「大学へ行くのが当たり前」という感覚が蔓延していますが、その分「なぜ大学に行くのか?」を真剣に考える必要性が減ってしまったのでは無いでしょう
か。「なぜ?」を一緒に考えないまま偏差値や模試の結果だけで大学進学の方向を『指導』していると思われる学校のあり方には強い疑問を持ちますが、「なぜ?」に対する答えもまた千差万別であり、自分自身もそれに対してどの程度までの幅広い視点があるかどうか、未だに自身はありません。なぜなら、自分のように『紆余曲折』を経てきた生徒の気持ちは分かっても、「大学へ行くのが当たり前」と思って高校で一生懸命勉強してきた生徒に「なぜ?」を尋ねるべきかどうかさえ、実は確固たる自身があるわけではありません。「大学で学ぶ価値は大学に入ってから考えればいい」という考え方も否定できないからす。ただ、それを考える時期がいつであれ、自分自身で考えるべき重要な質問であるということだけは断言できそうです。ご父兄の皆様からのご意見などもいつか聞きたいものです。


2011.2
今年はどんな年?

 
 ◆ 今年やりたいこと(その1)…登山の再開

  どこかに出かけて以前登った山が見えると感じるこみ上げてくるような懐かしさ。ご父兄の中で『山』が好きな人がいらっしゃればこの気持ちを分かっていただけるでしょう。最後に登山らしい登山をしてからもう25年近くなりますが、山にいる時のあの身体感覚は未だにとても鮮明です。特に昨年の夏に元道場生の伊藤望君が、東海自然歩道を東京から愛知県まで走破し、30年前の自分の思い出をよみがえらせてくれてからは、『山』への思いが募るばかりで、「もう、いても立ってもいられない!」という慕情とも呼べる気持ちが押さえきれなくなってきました。
 そこで、今年は25年ぶりに登山を再開しようと決意しました。ただ、毎年新聞などで何件も報道される『熟年登山者の遭難』のニュースを思うと、軽い気持ちで行くのは想像以上に危険だということは承知しています。実際自分も数年前に御岳に登った際、夜中に瀬戸を出発して一睡もしないまま明け方から登ったのですが、若い頃ならさほど疲れもせず3時間で登ったところを、6時間もかかって精も根も尽き果ててやっとの思いで山頂に着き、しかも下りは完全に膝がまいってしまって、散々な思いをしました。いくら登りやすい御岳とはいえ、長年の運動不足に加えて徹夜という状態ですから、同じ山とは思えないほどの難渋を味わいました。夏の御岳はとても安全な山ですが、「山をなめてはいけないよ」と叱られた気分でした。
 そのような経験もあって自分の体力や筋力の衰えも痛感しましたが、それでもやはり山への思いは強いので、今年は準備運動をしっかりやった上で八ヶ岳あたりを登ってみようと思っています。上述の伊藤君も、もともと自然が好きな青年ですが私の時と同じで東海自然歩道をきっかけに登山が好きになったようですから、一緒に八ヶ岳へ行こうと計画しているところです。先日会った際に彼が私のことを心配して「本当に大丈夫?」などと失礼な(?)ことを言っていましたが実際今のままでは彼に大迷惑をかけることになりそうですから、半年かけてしっかりと体力を養っておこうと思っています。「熟年登山者の遭難」という見出しをつくりたくないですから。

 ◆ 今年やりたいこと(その2)…スキーの再開

山と言えばもう1つ再開したいのがスキーです。15年前の冬のある明け方、仕事で徹夜して腰が疲れていたのにもかかわらず、突然「スキーに行こう!」と思い立って出発。2時間ほど車を運転して、スキー場に着いた頃にはかなり腰痛がひどくなっていたのに、リフトの1日券を買って喜び勇んでリフトに乗ったものの、上に着いたらリフトの振動のせいもあって、腰が痛くて歩くこともままならず…。中腰状態でなんとか下まで降りてきて、リフト券を半額で売って、隣の温泉に駆け込んで1時間ほど腰を温めてから、斜め座りの状態でまた2時間車を運転して帰ってきました。それ以来、腰痛が続いて、夏でも毎日ホカロンを腰に当てていなければならない状態が続いています。でもやっぱりスキーに行きたいと毎年思っています。1つには、もう年齢的に冬山は無理なので、せめてスキーで冬山の気分を味わいたいのが理由ですが、やはり一番はあの爽快感ですね。腰痛は治らないでしょうが今度の冬は温泉のあるスキー場でのんびりしたいです。

 ◆ 今年やりたいこと(その3)…読書三昧
 
 このコラムでもしばしば「もっと本を読め」と勧めているわりに、自分は「忙しい」を口実になかなか読書ができていません。「忙しい」と言うのは事実で、特にこの数ヶ月は正月さえ1日も休めず、せいぜい週に1、2回ばかり1〜2時間休憩して喫茶店でコーヒーでも飲むのがやっとの状態ですが、それでも寸暇を惜しんで読書をしようと思えばできる時間はあるはずです。内容の濃い本は読むだけでかなりの知的労働になりそれなりに疲れるものですが、しんどいから読まないというのは知的怠慢な気がして、生徒に「本を読め」という自分が嘘臭くなっていけません。そこで今年は読書もきちんと再開しようと思っています。読書三昧と言えるほどの時間を作るのは困難ですが、漱石の『吾輩は猫である』はまた読み直したいですし、吉川英治の『宮本武蔵』もじっくり読んでみたい作品の1つです。
 またせっかく英語に接しているのですから英語の原書を何冊か読んでおきたいものです。ことに『シャーロック・ホームズ』のシリーズは、もともと英語の勉強を始めるきっかけの1つでしたから、そろそろ15年ぶりにまた全部、しかも今度は単語も全部きちんと調べながら読み直したいものです。それと受験生の時に読んだバートランド・ラッセル、英検の勉強の際にテキストにしたライシャワーなどなど、読みたいものが山ほどあります。

 しかし現実は…今年も忙しさから逃れる見込みはなさそうですから、八ヶ岳に一度行ければよしとするしかないか…。



2011.1
今年の受験生たちへ

◆『君達全員本当によく頑張っている!』

毎年この時期になると、自分の受験の頃の思い出も重なってついつい指導に『熱く』なってしまいます。一人一人の道場生が、一人一人それぞれの悩み、弱み、障害を抱えながら、それでも一生懸命に頑張っています。こういう姿を見て熱くならずにいられますか?特に今年は、全員の『ひたむきさ』が伝わってきて、こちらも身が引き締まる思いです。

高校を中退して大学受験資格を自力で取得して、孤独と闘いながらひたむきに努力している人、花園に出場が決まってこの時点でまだ部活と受験勉強の両立をこなしている人、英語が全く苦手でギリギリに入門してきながら、英語の勉強方法が分かってきて目を輝かせながら勉強に励んでいる人、周囲から『無理かも』と言われながら、自分の目標を断固守り抜こうとしている人、往復3時間かけて自転車通学しながら少ない時間を精一杯使って努力している人、休みには道場でずっと自習している人、不安につぶされそうになりながら何とか自分をたもって歯を食いしばっている人、道場の指導を信じながら自分の学習スタイルをなんとか確立しようと不安と闘いながらひたむきに努力している人…。

 毎年この時期になれば、こうやって一人ずつの生徒の顔を思い浮かべながら、「彼には何を教えようか」「彼女にはどうやって指導しようか」とあれこれ思いめぐらせ、こちらも必死になっていきます。そして同じように必死でやっている受験生達がとても『いとおしく』感じるようになります。今年はそれが例年になく強く感じられるのは、全員から『ひたむきさ』が伝わってくるからでしょう。ご父兄のみなさんも、自分たちの青春期を思い起こしながら、ぜひ温かい目でこういう若者達を見守ってやって下さい。みんな本当によく努力していますよ。

 今年の受験生でもう1つ嬉しいことは、推薦やAOで既に学校が決まっている道場生達の多くがこれからのことを考えて「少しでも英語の力を付けておこう!」という気持ちで、道場に留まって英語の勉強を続けてくれていることです。これもまた指導者を『熱く』してくれています。難関校のAO入試を突破しながら『もっと英語の力を付けておきたい』と残ってくれている人たち、推薦で学校が決まっても『自分は英語が苦手だから、少しでも力を付けておきたい』と残ってくれている人たち…。みんな「他の同級生達がまだ必死でやっている中で、先に決まったからといって今手を抜きたくない」という気持ちがあるのでしょう。こういう道場生がいてくれると「英語の大切さを理解してくれている」という喜びと、「英語道場の指導を信じてくれている」という感謝の気持ちがあふれてきます。そして「卒業するまでに少しでも多く実用英語の基本を指導するのが責務だ」と強く責任を感じ、こちらも必死になります。指導者冥利に尽きるというものです。

 また、残念ながら諸般の事情からこの時期に道場を辞めることになってしまった人もいますが、一度英語道場で学んだ人は「これからもずっと道場生」です。受験まで孤独な闘いになるでしょうが、基本をきちんと守って、自分を信じ、ぎりぎりまでやれる限りのことをやっください。それでも不安なときはいつでも相談や質問に来てください。

 とにかく今年の受験生全員に『ありがとう』といいたい気持ちで一杯です。君達に指導ができて本当に幸せです。

◆私達大人も、『熱い』自分を取り戻しませんか?

受験生へ:こんな時に‘all the more for it’
  学校の先生、特に担任の先生などと比べれば、生徒と接する時間はずっと短いのですが、その分だけ一層一人一人とのちょっとした対話も密度が濃くなり、熱がこもってしまいます。今年で50+?歳になってしまいましたが、根が単純なのでしょうか、『全員の受験が全て自分のこと』のように思われて、こちらも必死です。この年で熱くなるのは少々キツイですが、『やり甲斐』を与えてもらえることは自分の存在意義の確認にもなり、こんな幸せなことはないかも知れません。

 自分自身も、コーチとして最高のパフォーマンスが要求されている以上、受験生にも決して負けない『必死さ』と『ひたむきさ』が必要であり、さらに『高度な戦略と戦術』、そして『断固たる信念』が要求されていることを強く実感しており、それがあるからこそ、休日もなく毎日15時間ちかくも仕事をしていても気力を保っていられるのでしょう。あと2か月、受験生のコーチとして、また英語道場全体の責任者として、最高のパフォーマンスを続けたいと思っています。

 受験生のご父兄のみなさんもまたこの時期は『不安との闘い』でしょう。しかし、指導者の目から見て、選手達はよく頑張っていますよ。ですから自分の『不安』を子供さんにぶつけることだけは決してしないで、自分の中で処理していただけますよう強くお願いします。今子供さん達にとって必要なのは『親が信じてあげる』こと、そして本番でどのような結果がでようが、「その事実を客観的に受け止め、それを将来にどう活かすか」のアドバイスをすることで、要は『覚悟』なのです。彼らに本当に大切なのは『どの大学に受かるか』よりも『どういう大学生になるか』、そして『どういう人間になるか』です。

 今、子供さん達は受験というチャンスを使って自分たちを磨いています。ご父兄のみなさんも、どうかもう一度自分の青春期を思い出して、自身の今後に対して『熱い思い』を取り戻されてはどうでしょう。
 勝手に熱くなっている道場長からのご父兄への提言です。一緒に『熱く』なりませんか?

2010.12
『もう学校やインチキ英会話教室に任せてはおけない!』

◆ 本当に英語は必要

●トヨタ自動車の場合…実際にトヨタ自動車に勤めている方に面談してお尋ねした結果、英語に関しては社員に対して次のような課題が科されているそうです。トヨタ自動車、及びその傘下にあってトヨタの基準をほぼ踏襲しているデンソーやアイシンなどの優良企業では、30代半ばで役職に就くためにはTOEIC600点以上が必須条件になっています。他の会社は未確認ですが、トヨタに関しては『自分で何とかする』という方針で、昇進したい人はあらかじめ600点をとるために1年ぐらいは英語の勉強を自力でしているようです。またさらに上に役職に就くためには、より高い点が要求されるとのことです。デンソーやアイシンに限らず、トヨタの強い影響下にある企業はほぼ同じ基準だと考えられます。

●シャープの場合…最近、研究開発部門で英語を社内公用語化する方針を固めました。事業の海外比率が高まり、現地開発・生産が増加していることから、研究分野のグローバル化に対応する方針とのことです。

●楽天やファーストリテイリング(「ユニクロ」)の場合…この両者が英語を社内公用語にすると表明したことは、ちょっと前の新聞やニュースでも取り上げられていましたからご存じの方も多いでしょう。実際にそこまでやる必要があるのか疑問視する向きもあるようですが、海外進出を積極に図るには当然のことと言えるでしょう。
●日産自動車の場合…カルロス・ゴーン氏が社長に就いて以来10年間、英語がほぼ公用語になっているとのことです。

◆「英語を話せない者は人にあらず」の時代

上記のようにグローバル化を進めている企業にでは、『英語を話せない社員=使えない社員』という雰囲気が出来つつあるのは事実で、それ以外の企業でも多くの大企業は『英語の浸透』を図っていく方針であるようです。むろん地場産業で内需に依存しているような企業ではここまでの危機感はありませんが、それでも何らかの形で海外との接触が必要な企業では英語を使える社員が重用される傾向にあることは否定できない現実です。

◆ 危機感のない文科省と学校の現場…もう学校に任せてはおけない
 このように顕著な傾向を前にしても文科省や学校の現場では全く危機感がなく、相変わらず100年前と同じような『訳しなさい』式学習と、『重箱の隅』式文法に終止しています。例えば、近年急速に競争力を増している韓国を例に取れサムスンのような優良企業では、新入社員のほとんどは英語か中国語、または両方を流暢に話すのが当たり前となっています。日本の現状との英語力の格差は拡大する一方なのです。以下国民生活白書を参考にしてみましょう。学校が『大学受験を口実にした旧態依然の英語学習』を修正しないする以上、私達は自衛するしかないことがわかります。

平成8年度の国民生活白書(要旨)…
(外国と比べ相対的に低下する英語能力)
 日本人の国際化に対応する能力の1つである英語力について、英語能力検定試験TOEFLのデータをもとにみると、他の国は上昇しているが、日本は横ばいである。日本の得点をアジア諸国・地域の中で比較すると、60年代には中位にあったが、90年代に入ると低い成績となっている 。また、得点の内訳をみても、日本は「語意と読み取り力」、「構成と書き取り力」、「聞き取り力」とも低い。日本人の
 英語能力は「読めるが話せない」と言われているが、読む力も十分ではないことがわかる。

( 外国語の授業時間数が短い日本)
 中学校における1年間の外国語の授業時間をみると、日本は117時間であり、オランダの約303時間、フランスの約173時間、ドイツの約151時間など、ヨーロッパの非英語国の授業時間数と比較すると、かなり短い。ヨーロッパ諸国は、母国語と言語体系の類似した英語の授業に長い時間を割いているが、日本は、日本語が英語と言語体系が異なり、ヨーロッパの諸国と比較して英語の習得に長時間を要するにもかかわらず、英語の授業時間は短い。

 平成11年度国民生活白書(要旨) 
(インターネット活用に必要な英語能力)
 また、今日、国際語としての英語は、インターネットを活用する上でも必要な能力の一つである。日本人の英語能力を、TOEFL(トーフル:英語を母国語としない者が北米の大学に入るための世界共通英語試験)の得点でアジア地域の各国と比較すると、98年には25か国・地域中最下位になっている。企業が求める資格はコンピュータ関係と英語関係との指摘があり、今後インターネットの活用に合わせて英語能力の向上が望まれる。

◆ もう『経済大国』の名前に安住している時代は終わった
 GDPでは中国に抜かれ‘Japan as number 1’などと言われていい気になっていた時代は遠い過去のことになりました。
 また昨今の政府の迷走ぶりをみていても、政府に『長期的展望』のかけらも無いことは一目瞭然となりました。もう私達は子供達の競争力を自力で付けていく『覚悟』が必要なのです。幼児から英語を習わせるなどというのは、問題の本質を見ることの出来ない親たちの愚行に過ぎませんが、小学校高学年以降は本気で『使える英語を学ぶ』ことが将来の方向性にとても大きな影響を与えることは、親御さん達に強く認識すべきでしょう。このままでは日本は衰退しかありません。

2010.11
『読書の秋』


 ◆ 日本語が通じていなーい!!
   同じ説明を聞いているのに本当に理解している生徒と、『分かったつもり』の生徒にはっきり分かれ
 ます。これは別に今に始まったことではありませんが、近頃後者の比率が決定的に多くなっている気が
 してなりません。このような人達は
 1.本当の意味で『理解する』という経験値が低く
 2.新しい情報に対する好奇心が低く
 3.考えることを面倒くさいと感じ
 4.自分の経験や知識を利用して新情報を消化しようとしない
 という共通した特徴があります。これでは学習は『丸暗記』の蓄積であり、面白くもなく、将来の応用
 にも全くつながりません。
  『日本の教育水準の低下』が言われ出してもうずいぶんになります。数学オリンピックなどに出るよ
 うな一部の『例外』を除けば、全般的に日本の子供達の『考える力』は低下しているというのが指導す
 る側の正直な実感です。資源の乏しい日本が現在のように繁栄できてきたのは、ひとえに『知的資源』
 が豊かであったからで、そうでなければ明治期に半植民地化したかも知れませんし、戦後の発展もなか
 ったでしょう。『考える力』の低下は日本の国力の低下にほかなりません。非常に心配です。


◆ もうマンガでもいいからとにかく読書を!
  以前は、「本を読まずにマンガばかり読んでいる」という嘆きが多かったのですが、最近では「マン ガでも、読んでいるだけマシ」という声を聞きます。実際に近頃はマンガ本でさえじっくり読めない子 供が増えています。ではそれらの子供が暇な時間にすることはというと…
 1 ゲーム
 2 携帯でメールのやりとり
のどちらかです。これで毎日3時間ぐらい費やしている小・中学生がとても多いのです。こういう子供
 さん達に共通するのが、上の『日本語が通じない』現象です。残念ながら本人達は、ゲームや携帯に金
 を使って、自分たちの学力や思考力を低下させているということは分かっていません。自分の子供が薬
 物の常用者だと分かったら親は真っ青になるでしょうが、脳にとっては薬物と同じぐらい悪影響がある
 ゲームや携帯には無頓着です。これは大人の認識不足以外の何ものでもありません。
  私達大人は、このような状況を改善し子供達に良好な環境を作ってやる義務があると思います。それ
 は子供さん個人の将来の幸福のためであると同時に、日本という国の将来のためでもあります。経済活
 動では『円高・円高』と目先のことに大騒ぎをしていますが、20年後、30年後のことを考えたら、
 円高など問題にならないほど危機的な状況です。読書の経験のない子供さんは、まずマンガでもいいか
 ら内容のしっかりした物を与えて、社会や自然や人間にもっと興味を持つように、そしてその段階を経
 て次には活字の本をシッカリと読めるだけの知的好奇心と忍耐力をもてるように仕向けるのは、私達大
 人の義務でしょう?塾に行かせて安心していませんか?塾なんかあるのは日本と韓国ぐらいのものです。

2010.10
東海自然歩道に挑戦中


◆ 30年前の東海自然歩道
 環境庁の設立を記念して東海自然歩道が東京(高尾山)から大阪(箕面山)まで1500キロ開通したのは私が20才頃のことでした。「ぜひ歩きたいものだ」と思いつつ、なかなか決心が付きませんでしたが
「東京に下宿して家は瀬戸にあり、そこを1本の山道が結んでいる→絶対に歩くべきだ」という思いがつのって、実行に移したのが大学3年生の冬でした。ほとんど野営しながらの24日間の旅でした。
 あれから30年の月日が立ちましたが、沢山の光景が昨日のことのように瞼に焼き付き、あの世に持っていきたい一番の思い出となっています。

◆ 30年後の跡継ぎ
 その30年後の今年、元道場生のNottyこと伊藤望君が、同じ道のりを歩いています。現在静岡県の東部あたりでしょうか。彼はもともと自然が大好きな少年で、中学のときに中津川の真っ暗の山道を一人でお祖父さんの家まで歩いたこともありました。そんな彼に東海自然歩道の話をしましたら、大いに興味をもったようで、高校時代から「自分もやりたい」とよく言っていたものです。しかし、「やりたい」という人は今までもたくさんいましたが、実践したのは15年ほど前に西半分を歩いて、私の『やり残し』を完成させてくれた喫茶店時代のバイトの福山君と今回の伊藤君だけです。特に伊藤君のコースは自分の時と同じなだけに、時々送ってくれる携帯メールに出てくる地名を聞くと感慨もひとしおで、体力も時間もないのにまた歩きたくなってしまいます。私の時は冬でしたが、彼は9月出発で、1000メートル前後の山がほとんどですから、特に今年の暑さを考えると、かなりキツイのではないかと思いますが、メールは元気そうです。当時は携帯電話などありませんでしたから、隔世の感はありますが、一歩山に入れば変わらない日本の自然が残っていることでしょう。いい旅になることでしょう。

◆ 観光地では感じられない本当の日本のよさ
 夏山登山の経験さえなかった自分にとって、丹沢山地を含む東海自然を冬に一人で歩くというのは、命がけの部分もあり、出発前は『冒険』と思っていましたが、暖冬も幸いして、終わってみれば最高の『旅』でした。『旅(たび)』という日本語に惹かれ、若い頃にはやった「遠くへ行きたい」という歌の影響もあって、『旅』にあこがれ実際あちこち放浪しましたが、東海自然歩道では本当に『旅』を満喫
できました。それぞれの場所に独自の自然の光景がありそこには地元の人たちがいて、徒歩というゆったりした時間の流れの中でそれを味わうことができ、これが自分の思い描いいた『旅』のイメージとぴったり重なったのです。当時の茶屋や山奥の民宿のいくつかはもう無くなってしまい、切ない『無常感』も感じますが、これもまた旅を『旅』にする要素かも知れません。行動するまでの自分の様々な思い、実際の行動、時を経ての回顧。これら全てがまとまって1つの『旅』を作るのだと今では実感しています。
 そしてつくづく感じたことは、名もない普通の山間部の風情が、ゆっくり歩くことでいかに心に焼き付くかということです。その土地の空気や臭いと自分との一体感は、観光客で混み合うような場所では決して感じることのできない微妙なものですが、一人でいるという緊張感が感覚を鋭敏にし、五感全てがそれを受け止め身体経験とするのでしょう。30年を経た今でも、あの山の臭い、あの時の風の冷たさ、あの山からの景色、あの時の木々のざわめきといった一瞬一瞬の記憶が鮮明に残っています。
 旅は、心と身体と場所と時間と思い出によって完結します。日本は旅のできる美しい国です。

2010.9
『さらば、旧英語道場』


 ◆ 旧英語道場の取り壊し
   TEA TIME → 英語道場 …合わせて25年の苦労と思い出の場所がなくなります。

  29才でサラリーマンを辞めて喫茶店‘TEA TIME’を開業してから10年間、その後『英語道場』として14年間過ごした建物が、もうじき取り壊しになります。教室自体は3月に引っ越しを済ませ隣の新しい教室(外見は古いですが…)にも慣れましたが、なにぶん長いこと『住み慣れた』空間であるだけに、消滅してしまうのがとても寂しい気がします。初期の頃の道場生の人たちは、夏期講習などの時に旧道場のキッチンを利用して用意した昼食を懐かしく思ってくれていることでしょう。最初の頃は、道場生5~6人だった道場生も、今は瀬戸と三郷で100人以上の大所帯になりました。感無量です。

◆ 過去を振り返り、今後の英語の指導に思うこと
  『道場生全員が英語を使えるように』を目標に

  瀬戸道場も三郷道場も周囲は学習塾だらけ。このような中で知名度も実績もない英語道場でしたが、頑張ってくれた卒業生達の親御さんの口コミなどもあって、大手の塾の間に埋没せずにここまでやってこられました。その点に関しては『それなりに頑張ってきたなァ』との自己評価をしています。
  しかし 発足当時からの「英語は誰だってできるはず→道場生全員を英語が使えるようにする」という理念は、今の段階では実現とはほど遠い状態です。現実は「英語がワケが分からない」人をなんとか「英語が分かるようになってきた」というレベルまで持ち上げるのがほとんどで、「英語を使えるようになった」というレベルまで指導できた人の率は高くはありません。これの原因としては、外部的要因としての「基礎学力低下」「知的好奇心の低下」など、かなり頭を悩ませる現実がありますが、これらの要因のせいにして済ますわけにはいきません。なぜなら「アメリカでは子供でも話す英語→やり方さえ正しければ必ずできるようになる」という基本的な発想から考えれば、道場生全員が日本語を話している以上必ず英語もできるようになるはずという結論に至らざるをえないからです。
  このような現実から常に突きつけられる課題は「なぜ全員英語を使えるようにできないか?」「どうすれば全員が英語を使えるようになるか?」の2つです。そして、「なぜ?」に対しては、原因を徹底的に分析しつつ、「どうすれば?」に対しては、普遍的かつ合理的な方法論を確立することが英語道場の使命だと考えています。これまでの試行錯誤や他の指導者の方法論なども参考にしながら、英語道場独自の方法論を少しでも早く確立し、一人でも多くの生徒に「英語を使えるようになった」という満足感を持ってもらえるようにしようと決意を新たにしているところです。

◆ どうすれば?

  言語の習得に至る道筋には様々な要素が複雑に絡み合っています。実際、英語の習得に『王道』と呼ばれ得るようなものは現時点ではまだ存在しません。しかし、上にも書いたように、「日本語が使えるようになったのであれば必ず英語も使えるようにできるはず」という信念を捨てず、その可能性を信じてよりよい方法の模索を続けていきたいと思います。この秋からも、1つ新しい実験をしていこうと思っています。かなりの苦労が予想されますが、これで『成功率』が上がることを期待しています。

2010.8
『英語を学ぶ』ということ 

◆幼児の英会話…母親以上には上手くならない

  前回も書きましたが、少しでも多くの若いお母さんが『同じ轍を踏まない』ようにもう一度繰り返し書きます。自分が英語を話せなければ、幼児に英会話を習わせるのはほぼ無駄金に終わります。その理由は、「言語の習得は(どんなに基本レベルであっても)、週に1回や2回、1時間やって上達するようなものではない」からです。次のような状況を想像してみてください。「週に1度、1時間だけ日本語を話す人と接する以外、子供を誰とも会わせない」このような子供が、日本語を習得していくと思いますか?
  言語は『日常生活の一部』にならない限り習得はできません。したがって、もし幼児に英会話を習わせたいなら、その子と接する時間の最も多い人間、つまり母親が日常的に英語で話しかけることが必要です。だから、理想は母親がある程度の英語を話せること(もっとも、そのような場合には、英会話スクールに行かせる必要はありませんが)で、それができないなら、せめて一緒に習って家でその練習を子供とやる以外、幼児の英語が上達することは望めません。自分ができなかったことは子供もできません。その点をしっかり理解してもらいたいものですね。

 ◆小学生高学年~中学生…『日常化』ができるかどうかが鍵

  小学校の高学年ぐらいになって『自分の意志』が明確になってくると、状況は多少変わってきますが「本当に英語が使えるようになるかどうか」は、やはり英語が『日常生活の一部』になっているかどうかにかかっています。ただしこの場合、「母親が英語をつかえること」は必須の要件ではありません。ここで大切なことは、『恋愛』のように「英語を使えるようにしたい」と常に切望し、そのために常に英語で考え、英単語を覚え、使ってみようとできるかどうかです。自分自身との対話、つまり独り言でも英会話は練習できます。そしてもっと上達したければ、そういう練習を経た後でネイティブの人との練習をすればいいのです。ここでやっと『お金を払う時』がきます。多くの人は、上述のような『前段階』の努力をせずに英会話スクールに行ってお金をドブに捨てているのですが、英検の1級程度のスピーチであればネイティブとの練習などゼロ時間でも十分にクリアーできるのです。道場長である私が英検の1級の取得までに費やした金額は3万円で、そのうち半分は英検の受験代。1万5千円が教材費です。ネイティブにお金を払って習ったことは一度もありません。
 英語の習得に重要なのは、とにかく英語を日常生活の一部にすることであり、そのための学習法を確立することです。英語道場の本来の目的もこの『学習法の伝授』です。しかし現実は、『世界の非常識』である日本の『学校英語』という呪いのおかげで、大きな妨害にあってしまいます。例えば
 1.発音の大切さを無視
 2.すぐに日本語に訳させる(アメリカ人は日本語で考えながら英語を話していると思いますか?)
 3.習ったことを徹底的にくり返さないで、次から次と新しいことをやる(タレ流して忘れる)

◆学習効率さえよければ…

  学習効率と本人のモティベーションさえ高ければ、中学3年までの英語なら3ヶ月もあればマスターできます。高校3年のレベルまで上げるのも、1年もあれば十分です。しかし、上述のような『学校英語の呪い』にかかっているうちは英語は向上しませんし、絶対に使えるようになりません。この夏休みを利用して、ぜひ『本当の英語の学習法』に切り替えるよう、ご父兄からも子供さんに声援を送ってあげてください。『本当の学習法』こそが成績向上の近道でもあるのですよ。

2010.7

 ◆幼稚園から英語?…あァ!この狂想曲。

  多くの日本人は「金を使えば子供を賢くできる」と思っているようで、近頃は幼稚園の子供に英会話を習わせている親も多いようです。お金があるのだから自由に使えばよいことで、他人がとやかく言うことではありませんが、教育産業の『脅迫的』宣伝と『ご近所のお母さん達』の影響に圧倒されて、「ウチの子も早く英会話を始めないと、他の子に遅れてしまう!」と思いこんで、3才や4才の子供さんを英会話塾に通わせている多くのお母さん達をみるにつけ、「日本人は、自分で判断する能力が低くなってしまったなァ…」と嘆かざるをえません。こういうお母さん達にぜひ尋ねてみたいのですが、「ひょっとして、自分も小学生の時に英会話習っていませんでしたか?ところで、その結果は?」子供を小さな(3才や4才)うちから英会話に行かせるお母さんの多くは、じつは自分も小学生時代から英会話塾に通っていた経験があるようです。では、そのお母さん達は英語が話せるか?もちろん…。そこで考えるのが『もっと早くから始めれば…』ということなのでしょう。こうして日本の教育産業は繁栄していきます。もう少し日本人が賢明であれば、英会話スクールのほとんどは経営難に陥るはずですが、日本人の『判断力の欠如』は一朝一夕で変わるものではありませんから(いや、もっと悪化していますから)これからもNOVAのような強引な経営をしないかぎり、英会話スクールは繁栄すること請け合いです。英語道場のように『英語など小学5年生ぐらいからやれば十分』なんて言っていると、生徒をみんなよそに取られてしまうかも知れませんね。
 ま、こんな現状ですから、今の子供さん達の多くは小さなうちから英語に接しているわけですが、はっきり予言しておきましょう。幼稚園から始めようが、胎児のうちから始めようが、100人中99人は英語を使えるようになりませんよ。残った1人は?…はい、残った1人は英語を使えるようになります。ただし、この子供さんは英会話スクールに小さいうちから行かなかったとしても、やはり英語を使えるようになるでしょう。それは、小さいうちから英語を習ったからではなく、小さいうちにコミュニケーション能力、つまりは母国語能力を高めたから、そして社会や自然に対する好奇心や探求心が旺盛だからです。「母国語がきちんと使えなくて、話す内容が何もなくて何が英会話だよ!」というのが外国語をきちんと習得してきた人の共通認識です。だから、英語ができる人ほど、子供が幼稚園のうちから英会話スクールに行かせるなんてことはしないでしょう。

 ◆日本語をしっかりさせましょう

 学習塾、英会話スクールなどに金を出せば子供は賢くなると思うのは完全な誤りです。それなりに賢い子供さんは、確かに効果があるでしょう。しかし多くの場合は、目先のテストの点は良くなっても、本当の学習能力、実力は向上しませんよ。中学生で『内申はとてもいいが、実力テストは弱い』という生徒さんが多いですが、典型的な『学習塾っ子』ですね。学習塾で『点の取り方』を教えてもらってテストを受けてそこそこの点を取って、それで『自分はデキル!』と勘違いしているだけで、実力はほとんどゼロです。そして、そのような子供さんに共通しているのが『日本語能力が低い』ということです。
 本当の学習は、習ったことを自分の言葉に置き換えて『つまりは~ということだな!』と自分自身に教え自分自身で納得していくことです。この際に必要なのがきちんとした日本語なのです。先生が説明している日本語の理解度は、良くできる子を100とした場合、できない子は10以下だという現実をもっと理解してもらう必要がありますね。日本語ですよ、大切なのは。そしてそれを教えるのは親です。

2010.5
発音の大切さ

◆言語は『音』

  『言語は文字ではなく音で成り立っている』という、この当たり前の事実を無視した日本の学校の英語教育には、常に強い憤りを感じています。何故ならそこには「生徒達が将来英語を使えるように指導していこう」という発想はゼロだからです。では教員の言い分はといえば「とりあえず、指導要綱の内容を教えなければいけないし、大学受験に発音はあまり関係ないから」という軽薄なものです。
 特に後半は、教員のみに限らず、『何となく』共感している親御さんも(英語ができない人は特に)多いと思います。しかしこれは極めて『大きな間違い』です。特に『受験に関係ない』という発想で英語の発音をきちんと指導しない教員がいるとすれば、『詐欺師』と思って下さい。何故なら、彼らは自
 分が知らないことをあたかも知っているような顔をして教えているからです。自分のピアノの先生が実はピアノが弾けないと知ったら誰でも憤るでしょう。でも学校英語の世界ではまかり通っています。
 そしてその口実が『大学受験』なのです。
 そこで、『日本の常識』は『世界の非常識』という観点だけではなく、『大学受験に向けての効率』という観点からもこれらの『非常識』に反論していきましょう。

(1)脳は言語を音で処理している
  人間は文字を発明する前から言語を使っていました。そこでは『音』が言語だったのです。また、幼児の言語習得でも、文字を覚える前にすでに言葉を使っています。この簡単な事実からも、『音』が言語の基本であることは明白です。

(2)発音を確実に覚えないと単語を覚えにくい
  英単語覚える際に、発音が曖昧な単語は覚えにくいことは誰もが経験しています。発音がはっきり分かればその単語は音としても記憶に残りやすく覚えやすくなります。さらに、発音をきちんと意識することで『発音とつづりの法則性』がわかり、一層単語を覚えやすくなります。

(3)音読は脳を3回刺激する
  音読するには、まず目で文を見、次に口で発音し、それを自分の耳で聞くという3回の刺激が脳に与えられます。しかも単語などを書いて練習する3倍以上の速さで練習できます。言い換えれば3分の1の時間で、脳を3倍刺激する分けですから9倍の効率になります。

(4)きれいな発音は気分をのせる
  『英語らしい』きれいな発音をしながら音読練習をしていると、『本当に英語が使えるようになる』という気持ちになれます。将来外国人と英語で会話している自分をイメージできることは、英語学習のモチベーションの向上にもつながります。

  以上で『発音の重要性』を納得いただけましたか?私(道場長)が10ヶ月の独習で英検の1級を取得したり、TOEICで950点を取ったのは、『頭がいい』とか『努力した』とかいったこととは関係ありません。逆に『いかに速く上達するか』だけを常に考えていたかの結果なのです。そしてその結果到達した結論の1つが『音を大切にする』であり、これは英語を習得した人全ての共通認識なのです。

2010.4
学校の責任?それとも…


1.驚くべき『常識』の欠如と、『社会への無関心』

   英語道場からのお願い…ぜひもっと親子で語り合って下さい!

月謝を頂戴しているご父兄のみなさんにこんなことを申し上げると反発を受けるかも知れませんが、とても大切なことだと思うので、敢えて述べさせていただこうと思います。

  質問『子供の教育を学校や塾に丸投げしていませんか?

   昭和の時代と違って、今は地域社会の『教育力』が低下しています。以前であれば、近所のお兄さんやお姉さん、おじさんやおばさん、あるいはお爺さんやお婆さんが、良くも悪くも子供のことをあれこれと見ていてくれたものです。また、子供にももっと自由な時間があり、子供なりに他者との協調や摩擦を経験しながら、社会生活のあり方を学んだものです。しかし、今ではそのようなコミュニティーは、田舎にでも行かない限り存在しません。瀬戸市や尾張旭市のような小さな町でも、基本的には都市型のスタイルになっています。そこには『語り手』も『聞き手』も、そして最も大切な『叱り役』もいません。
  ではそれを学校に求められるか?それは無理な相談です。1人の先生が、30人の子供の一人一人の人間性の向上を見守るのは不可能でしょう。では塾?英語道場ではそういう指導を(特に大学受験生に対して)していますが、一般の学習塾は『○○高校に○人入学』という世界で、子供は『数字の一つ』にすぎません。寺子屋のような、密度の濃い人間関係の作れる塾はどんどんつぶれていきます。
  親も「なんとなく」大手の塾の方が『安心』という安易な発想で、塾に行かせることで自分を安心させようとしています。
   しかしこれでは、社会の一員としての人間性はもちろん、全ての学科の土台である『社会や自然に対する関心』は育ちません。それを育てないまま、塾に行かせれば何とかなるというような安易な考えは捨てて下さい。地域社会の教育力が低下した以上、子供の目を社会や自然に向けることが出来るのは親しかいないのです。ご父兄のみなさん自身が教育の一番大切な部分である『社会や自然に対する子供達の関心』を高めるしかありません。どうか、子供さんと一緒に教育番組を見て、一緒に感動して下さい。子供さんと一緒にニュースを見て語り合って下さい。子供さんと一緒に百科事典を見ながら『へぇ~』と感心して下さい。そうすれば自然に『賢い子』が育ちます。まだ間に合いますよ。

2010.3
今こそ!!

  1.いよいよ受験の山場

 私立大学のみの受験生や推薦入学の人たちは、ほとんどが既に進学先が決まりましたが、生憎まだ合格していない人、国公立大学を受験する人、そして高校受験をする中学生にとっては、いよいよ『本番』です。持っている力を最大限発揮できるよう、自分なりの『作戦』をしっかり立てて臨んでください。特に、緊張して『本番に弱い』(と自分で思い込んでいる)人は、次のような作戦を使ってみてください。

  ① 緊張をやわらげるために
    ・試験が始まるまで『ノリのよい』歌を心の中で歌い続ける。
    ・深呼吸を数回繰り返す。(事前に習慣にしておいて下さい)
    ・それぞれの科目について、これまでの授業風景などを思い出す。
  ② ケアレスミスを防ぐために
    ・問題文の一文字一句を指か鉛筆の先でなぞりながら読んでいくこと。
     *一旦『思いこみ』をやると見直しでは発見できません。→最初が大事ですよ!!
  ③ 大切な『考え方』
    ・満点を取る必要はないから、分からない問題は『捨ててもいい』。できるものをじっくり!
    ・仮に今回がダメでも道はいくらでもある。
    ・大切なのは、『どこの学校に入るか』ではなく『どういう学生になるか』。

 2.ご父兄へのお願い

 親の目から見れば『物足りない』と思われることもあるでしょうが、本人達自身は周りが思っている以上にプレッシャーを受けています。時としては、親が自分の不安を子供にぶつけることもありますが、これは『最悪』のプレッシャーです。こういう時こそ親は『どっしり』構えて、上の③を子供さんに(自分自身にも)言い聞かせて上げて下さい。
 特に最後の『どこの学校に入るか』については、全く『勘違い』していたり、ブランドに目がくらんで大学名と偏差値でしか評価できないような大人もたくさんいますが、幸いなことに道場生のご父兄は人生の本質をご理解いただいている方が多く、『どういう学生になるか』の方がより重要であるということはご承知いただいていると思います。英語道場卒業生の多くが、『就職』で良い成果を出しているのは、常日頃から『どういう学生になるか』が大切だということを説いているからです。

2010.2
今年の課題と抱負

『学習力』の向上


  1.『学習力の低下』…かなり深刻な問題

 15年以上英語の指導をしていますが、最近とても気になるのが『最近の子はかなり学習力が低下しているのではないか?』という点です。親御さんにはショッキングな事実かも知れませんが、例えば中学3年生で通知表の英語3の場合、実態は『ほぼ全く分かっていない』というのが真相なのです。数学に関しては3の場合『できるところもある』という評価ができますが、英語に関して言えば、本当に理解している生徒は『1クラスに数名いるだけ』というのが現状でしょう。
 原因の1つは基本の徹底化をしないままどんどん先に進めていく学校の授業の進め方にあると思いますが、もう1つの、さらに深刻な原因は、英語の理解の前提としての日本語理解力の低下が感じられます。きちんとした説明にじっくり耳を傾けられる、あるいは自分で読んで理解していくという能力が平均的にかなり低下しているというのが正直な実感です。

 2.学習とは『自分に対する自分による説明』

  『理解する』というのは『腑に落ちる』という実感を伴ったときに言えることですが、『腑に落ちる』状態にするためには、他者からの説明を『自分語』に翻訳して、自分なりの説明でしっかり納得できることです。しかしどうやら今の学校における英語教育の現状は、『理解無しの暗記』に強く傾斜しているようで、これではまるで動物の調教です。しかも腹立たしいことには、英語の教員たるものが、言語で一番重要な発音記号の指導(2時間もあればマスターできるのに)を一切しないで、カタカナで読み方を書かせているという現状です。このような愚劣な教員には「生徒達が将来英語を使えるようになってもらいたい。」などといいう発想はみじんも無いし、おそらくこういう教員は自分も英語が使えないと思って間違いないでしょう。実際、『中学の英語の先生の8割は英語が話せない』というのが、中学校を回っているALTの外人先生達の共通した意見で、これではピアノを弾けない人にピアノを習っているようなものです。民間だったら詐欺ですよ!生徒達の大切な時間を1000時間も無駄にする日本の英語教育に猛烈な怒りすら覚えます。
 せめて英語道場生のご父兄のみなさんには、『いつまでこんな馬鹿げた英語教育(明治時代から変わらない漢文式の学習法)をやっているんだ!』という怒りをもって頂きたいものです。せっかく英語道場で発音をしっかり指導しても、学校でまた元に戻されてしまうという悲しい状況なのです。
 さて話がそれましたが、上述のとおり、『理解する』というのは『自分で自分に説明ができる』ことです。ところがほとんどの生徒はこれができていません。そこで今後英語道場では指導内容を徹底的に細分化して、完全に『理解』したうえで『他者に説明させる』という指導(チュートリアルといいます)をこれまで以上に推進して行くつもりです。成果が出るには少し時間がかかるでしょうが、学校も、学習塾も『詰め込み』のその場しのぎ指導をしているなかで、せめて英語道場だけは、本当の『学習』や『理解』というものを指導していきたいと考えています。どうぞご声援をよろしく。

2010.1

今年の総括と来年の抱負

◆自己採点=70点

   毎年、『これでよかった。100点満点!』などと言える年はありません。今年は総括すれば100点中70点といったところです。今回は、今年のことを振り返りながら来年の抱負を考えておきたいと思います。

 1.ジュニアクラスに関して

 小学生のうちに英語の語順を徹底的に身につけてもらうという点では85点ぐらい。
 発音に関してはも、日本人的英語発音からはかなり抜け出しているという点で85点ぐらい。楽しんで続けてもらっているという点も含めて、全体としては85点といったところでしょう。今後の課題としては、『少しは英語が話せる!』という喜びをもっと子供さん達にもたせてあげるようにしたいですね。

 2.中学生に関して

 英語が分からないという点を克服してもらったという点では、苦手意識を克服した人が多く、また英検でも多くの生徒が大健闘をしてくれているので、まずまずの評価をしたいところですが、その一方で週に3回も来てもらいながら通知表で5を取らせてあげられない人も多く、この点は今後も大きな課題となるところです。
 また、「使える英語にしよう」という意識向上の指導という点でも、テスト対策の方にどうしても重点が行ってしまって、思うように指導ができなかったので全体の評価はちょっと厳しく70点。
 来年の抱負としては、指導の重点をもっと明確にし、「使える英語を学びに来ている」という意識を高めるようしたいと思います。

 3.高校生に関して

 「わけがわからない」という苦手意識を克服した人も多い反面、学校の宿題などに追われ結局満足できる指導もできないまま去っていった生徒も幾人かあって、悔いが残っています。大学受験組に関しても、「まだもう少し出来たのではないか?」と(毎年のことですが)思う点がいくつかあるので、現時点で総括して70点。
 来年の抱負としては、特に受験生にはまだ残された時間があるので、良質の指導をして、受験までに精一杯実力を付けて、指導の自己評価も80点以上にしたいです。

 4.その他のクラス

 「お母さんクラス」が、始まって以来もう2年になります。最初は続くか心配でしたがみなさんきちんと出席してくださって、やり甲斐があります。ここは90点!
 来年も役に立つ楽しいテキストを作っていくので是非続けて下さい。

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